どれだけしょうもなくても、祈りと熱意は欠かさないこと

遅まきの参拝に、熱田神宮に行ってきました。 年始参りは欠かさないようにやってきたのですが、今年は年末年始が忙しすぎて(笑)行かれませんでした。

目標や家族の安全祈願を、少しだけ。 個人的には御祈りは、自分にするものであり、心を鎮めるためにするものだと思っていますが、「神聖さ」や「清さ」を感じる機会は常の生活には中々ないので、こうした機会は貴重だと思っています。

参拝ついでに、きよめ餅を購入。 ただ本当によく判らないことで怒鳴りだした肉親が食べてくれません。 まあ珍しくはないのですが、家族で食べようと提案しても、そんな話すら受け付けてくれません。頭を冷やしてくれ・・・ 寒中にて少しでも長く保存する必要があるので、自家用車の車中で保存しようかと思案中。

しょうもない話は程々に、熱田神宮では初えびすの最後の片付けを行っていました。 人が多くて、私には人に断りもなく堂々と写真に写すような度胸もないので。 少しだけ、感じたところがあった写真を撮れましたのでアップ

「干支打魔」というものを購入しましたが、少し外したかも。 玉がかち合う音が邪を払い落ち着きを取り戻す、という謂れのものでした。あまり言うものではないのですが、音があまりに普通の音で落ち着きすぎていて気持ち的にもちょっと物足りなさを感じてしまいました。熱田神宮には以前より「三ツ鈴」という面白いものがあるので、参拝の時にはお勧めします。

色々遅れてしまう日々ですが、歳の初めのけじめをようやく付けられたので良かったです。